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白樺派のカレーって?

白樺派のカレー誕生秘話


カレーライスを食べていたら、リーチさん「これに味噌入れたらうまいだろう」

リーチさんの発案で、田舎の粒味噌入りのおいしいカレーライスが出たりしました。


雑誌「民藝」(昭和45年8月号)に載った柳兼子さんの「思い出すままに」の中の一文です。
  リーチさん:バーナード・リーチ、イギリス人の陶芸家で大正5年〜8年、柳家邸内に窯をつくり陶芸活動を行っていた。

この小さな文章の発見が、我孫子のまちおこしの大きなきっかけになったのでした。

今、市内4つの飲食店で「白樺派のカレー」が食べられ、全国140箇所で「白樺派のカレー レトルト」が売られていますが、その始まりは冒頭の兼子さんのお話にあったのです。

平成13年、郷土史家がこの一文を発見し、地元スーパーの経営者で食の研究家、石戸孝行氏に、このカレーを再現してみないかと持ちかけた事が、後の「白樺派のカレー」誕生のきっかけでした。

ここから、石戸さんの「兼子さんのカレー」再現に向けて、研究の旅路が始まりました。「兼子さんのカレー」のレシピはありません。彼は大正初期の食材や献立等から、当時の我孫子の食糧事情に至るまで丹念に調べ、さらに当時わが国で使っていたカレー粉(C&B純カレー)まで特定するに至りました。「我孫子の図書館通いが懐かしい」と石戸さんは語っています。毎年12月、白樺文学館「面白白樺倶楽部」での「兼子さんのカレー」試食会による試行錯誤は6年間続きました。翌平成18年、遂に兼子さんが三樹荘で作っては、時には志賀直哉や武者小路実篤たちにも振舞っていたであろう「兼子さんのカレー」に限りなく近づいたのでした。

この間、NPO法人「テラスあびこ」(現テラス21)の「公園坂通りデザインコンペ」において、このカレーを「白樺派のカレー」と名づけて我孫子のまちおこしを、という企画が市民から提案されました。これが「白樺文学館賞」受賞となり、石戸氏の協力を得て「白樺派のカレー」実現に向けて大きく動き出したのでした。平成17年には、市や白樺文学館の協力を得て、立ち上げのための市民グループも誕生しました。それが現在の「白樺派のカレー普及会」です。

平成19年3月、我孫子市民活動フェアにおいて、2日間で300食の「白樺派のカレー」を市民の皆さんに食べていただき、これがデビューでした。5月には早くもメニュー化1号店が誕生しました。地元の野菜、国産の肉、隠し味に味噌、C&B純カレーの使用がこのカレーの条件です。地産地消、安全な肉、そして当時の味にこだわったのです。第27回文化講演会では「白樺派のカレー再現秘話」と題して、石戸さんの講演と試食会も行われました。

平成20年8月、待望の「白樺派のカレー レトルト」の販売にこぎつけ、昨年には「我孫子市ふるさと産品」にも推奨されました。2年後の22年8月には「白樺派のカレー パスティ」の販売も始めました。

このまちおこしの活動は、柳家、志賀家、武者小路家のご理解、我孫子市をはじめ多くの関係者のご協力、市民の皆さんのご支援で、今日に至っています。マスメディア、地域情報紙誌の懇切なる紹介記事や番組にも励まされました。

 「白樺派のカレー」は、単に商業的な活性化を目指すだけではなく、白樺文学を始めとする芸術文化活動の振興、食の安全・食育、地域の農家の支援、地産地消、手賀沼再生、手賀沼文化圏の振興などを視野に入れて活動するものです。一皿のカレーライスに中に、カレーとご飯の他にもいろいろなスパイスが詰まっているのです。



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